戦うきみと、向き合うあなたに 『青の数学』

 

 その月に読んだ一冊をピックアップして長めの感想を書けたらいいなと思って、手始めに2月に読んだ本の中で一番気持ちが盛り上がった本について書きます。


『青の数学』王城夕紀

青の数学 (新潮文庫nex)

青の数学 (新潮文庫nex)

 

あらすじ(Amazonから引用)

 雪の日に出会った女子高生は、数学オリンピックを制した天才だった。その少女、京香凛の問いに、栢山は困惑する。「数学って、何?」―。若き数学者が集うネット上の決闘空間「E2」。全国トップ偕成高校の数学研究会「オイラー倶楽部」。ライバルと出会い、競う中で、栢山は香凛に対する答えを探す。ひたむきな想いを、身体に燻る熱を、数学へとぶつける少年少女たちを描く青春小説。

 

『青の数学2 ユークリッドエクスプローラー』王城夕紀

青の数学2: ユークリッド・エクスプローラー (新潮文庫nex)

青の数学2: ユークリッド・エクスプローラー (新潮文庫nex)

 

あらすじ(Amazonから引用)

 数学オリンピック出場者との夏合宿を終えた栢山は、自分を見失い始めていた。そんな彼の前に現れた偕成高校オイラー倶楽部・最後の1人、二宮。京香凛の数列がわかったと語る青年は、波乱を呼び寄せる。さらに、ネット上の数学決闘空間「E2」では多くの参加者が集う“アリーナ”の開催が迫っていた。ライバル達を前に栢山は…。数学に全てを賭ける少年少女を描く青春小説、第2弾。


 一冊をピックアップって言ったのに早速二冊になってしまったが、いわば上下巻のような関係で二冊読むことで話がすっきりするところまでいくので是非合わせて読んでほしい。

 

 

 高校の頃、私立文系を進路として選んで時点で数学とは縁が切れた。科目としては数ⅠAで終わっている(その他理系科目も理科総合しかやっていない)。小学生のときに初めて50点を取ったのが数学だった。テストで点を取るのが得意な私の(決して頭がいいわけではない)、人生で一番低い点数だったのでよく覚えている。「平均」の問題で、出だしを間違ったらその先ずっと間違うしかないような問題で、私は出だしを間違えてしまったのだった。今思い出してもお腹が痛くなる。
 つまり、数学は、苦手だ。単純な計算も苦手だし、文章題も問題を読みすぎて言葉の意味を考えて止まってしまう。圧倒的に向いていない。そんな私が『青の数学』を手に取ったのは、単純に友人が薦めてくれたからだ。ただ「おすすめの本」を訊いたではなく「私におすすめしたい本を教えて」といって教えてもらった本なので、私のめんどくさいところを知っている友人が薦めた本ならきっと面白いだろうと思っていた。数学かよ、とはちょっと思ったけど。
 実際、数学はわからなくても読める。知識として「リーマン予想」だとか「ユークリッド幾何学」といったものを聞いたことがあったので(たぶん前にWikipediaを読みまくっていたときに読んだ)、何も知識がないよりは読みやすかったかもしれない。Wikipedia読んでわかるのかって言われたらわからないけれど、「そういうものがある」ということはわかる。なので、数学全然わからないし、という人でも安心してお読みいただけます。以下、数学全然わからないし、という私の感想です。


 「E2(正しくは二乗)」という数学のサイトで、問題を解いたり、「決闘」をしたりすることができる。『青の数学』はそこに集う高校生たちの物語だ。「決闘」といっても熱いバトルものではないし、テンションも終始落ち着いている。しかし、冷めているわけではない。静かで激しい青春が、とくとくと流れるように語られる。脈のリズムみたいな小説だった。登場人物たちの、おとなしいけれど実は気性の荒そうなところが自分と似ていて、他人の気がしないなと思いながら読んだ。
 数学に魅せられて離れられずにいる人たちの、それぞれの向き合い方が描かれている。主人公の周りには、登山や薙刀や恋など、数学以外のものに向き合う人もいる。でもみんなとても真摯に丁寧に、自分のやりたいことと向き合っている。私は彼らの姿をとても美しいと思った。大切なのは、自分の意思で選んで自分の意思で向き合うことだ。彼らの姿は、文字のなかから、そう伝えているような気がした。
 なかでも私が好きだなと思ったのは、高校から始めた薙刀に励む柴崎という女の子の向き合い方。一度負けた相手と対峙することを「しんどい」という言葉を使いながら、それでもやる。「しんどい」からやる。誰にやれと言われたわけでもなく、やめることなんていつでもできるけれど、それでもやる。
 なんていうか、私の場合は薙刀ではなくて「○○のファン」であること、おたくであることに対して、「しんどい」と感じながらそれでもやる、という気持ちでいる。薙刀とおたくを同じ土俵に並べるなと思われたら申し訳ないのだけれど、おたくをやっていると娯楽として楽しめない部分が沢山出てくる。なぜか身も心もぼろぼろになることがあって、でもやりたいからやってるんだよな、と思った。自分の意思で向き合っている。
 向き合うということは、戦うということと似ている。そこに誰かが、あるいは何かがいるから「向き合う」ことができる。「戦う」ということもそうだろう。部活に打ち込むことも「戦う」のひとつのかたちだし、受験であったり、仕事であったり、趣味ということもあるだろう、何かに向き合っている人にこそ、是非読んでほしい。
 私はいま、戦っている。何をどう戦っているか、いまは言わない。他の誰にも意味のないことで、でも私にはとても意味のあることだ。そんなもの戦いでもなんでもなくてただの道楽だろうと言う人もいるとわかっていながら、それでも私はこれを「戦い」と呼ぶ。心の底を揺さぶられるように傷ついて、腹が立って、その傷も苛立ちも無駄にしたくなくて、私は戦うことにした。そんなときに読んだから、余計に「向き合う」「戦う」ということが印象に残った。

 物語としてもすごく面白いのに、文章がとてもきれいで、単純に「読む」という行為が楽しかった。「誰もいない明るい廊下には、春が沈殿していた。」なんて、美しすぎじゃないだろうか。でもこの一文が切り取りたい一瞬のことはなんとなくわかる。
 おそらく、作者は「切り取り方」が上手いのだと思う。物語の場面も、物語に必要な部分だけで構成されていて、無駄がない。たとえば、主人公・栢山の家族構成などは(というか家庭の様子すら)描かれていない。それは物語に必要ないからなのだろう。栢山含めほとんどの登場人物が高校生だが、授業や学校生活の子細は描かれていない。それも、物語に必要ないからだ。更にいうと、高校生たちが「決闘」で解く問題も小説の中には出てこない。必死になって取り組んで、解けたり解けなかったりする様子は描かれていても、どんな問題を解いているのかは読者にはわからないのだ。どんな問題を解いているかは必要ではなく、どんな気持ちで問題と向き合っているかが重要なのだろう。そういう切り取り方がすごく上手い。情景の一瞬を切り取ること、物語に必要なものだけを切り取ること、そういうのがすごく上手いのだと思う。
 切り取り方が上手いから、刺さる文章だらけで困った。すぐにメモを取り出して書き留めまくった。

「私も、負けて成長しているんですかね」
「向き合っているなら、成長しているんだよ」

挑んでいなければ、心が死ぬから。

 面白いもんをやっていくってのは、きっと、散々な目にあうってことなんだよ。

 そんな文章たちのなかで一番胸に刺さったのは「青春ってのは、諦めるまでの季節のことだ」という一文。私はなんとなく現在進行形で青春しているような気でいるのだけれど、この文章を見て納得がいった。私はまだあきらめていないのだ。何を、といわれたら一言では答えられないけれど、でも私は諦めていない。まだ私は何者でもなくて、何者かになろうとしてもがいている最中だ。「なれない」と諦めることも、「ならない」と蹴りをつけることもしないしできないまま、今も青春のさなかにいる。でもそれも悪くないなと思う。

 物語はひと段落ついてはいるけれど、まだまだ謎は残っているしこの先も続いていくのだろう。続刊が楽しみだ。