夢を追う人たちはこんなにも眩しい 『ハケンアニメ!』

 

 辻村深月さんの作品が、すごく好きだ。
 思春期のこどもたちの揺れ動く心を描くのも、大人になりきれない大人を描くのも、どっちも。特に好きなのは『スロウハイツの神様』。何者かになろうとして頑張っているクリエイターの卵たちの、あるいは既にクリエイターになった者たちの物語。大好きだから何度も読み返している。読み返すたびに心があたたかくなり、同時にぼろぼろにもなる。
 もうこんな気持ちになるのは嫌だ、疲れてしまう――そう思ってずっと読まずにいたのが、『ハケンアニメ!』だった。

 

ハケンアニメ! (マガジンハウス文庫)

ハケンアニメ! (マガジンハウス文庫)

 

 

 夢を追ったり、夢のさなかにいる人たちの物語は、とても眩しい。苦労して、泣いたり怒ったりして、でも最後には笑えるように、やりたいことをやろうとしている人たちの物語は眩しい。その眩しさは、魅力とイコールで結ばれている。と同時に、残酷さともイコールで結ばれている。そんなふうに思うのは、私が夢を追わずに生きている人間だからだ。
 文章を書くことで食っていける人間になりたかった。だけど私はそれを仕事にしなかった。否、できなかった。狭き門だとわかっていて、それをくぐれる自信がなくて、何が何でもくぐると強く思えるほどの覚悟もなかった。私は自分の意思で、夢を諦めた。
 だから、夢を追う人たちを見ていると苦しくなる。自分がそこへ辿り着けなかったことの悔しさと不甲斐なさでいっぱいになる。辻村さんの描き出す登場人物たちはとても活き活きしていて、つらいことがあっても楽しそうで、それはまさしく私がなりたかった姿だ。もうこれ以上読みたくないと思う一方で、魅力的なキャラクターたちをもっと見ていたくて、どんどん読み進めてしまう。

 『ハケンアニメ!』は、アニメ業界を舞台にした物語だ。章ごとにスポットを当てる人物が異なり、様々な視点から業界で働く人々を描いている。第一章ではプロデューサー、第二章では監督、第三章ではアニメーター。
 単純に「お仕事小説」として読むこともできるし、そう読む人もいるのだろうけれど、私には夢を追う人たちの眩しさでいっぱいの物語にしか見えない。なので、その視点からの感想ばかり出てきてしまう。
 一番好きなキャラクターは、作中で伝説のアニメと呼ばれる『光のヨスガ』の監督・王子千晴だ。彼は、アニメ作品の監督でありながら「アニメは見た人のもの」と言う。作品を享受する側の私は、その言葉に救われる。作品を見て、もしかしてこの場面にはこんな意味がとか、このキャラクターの過去はこんなふうだったんじゃないかとか、明言されないところを考える自由を、王子千晴は視聴者に与える。きっと頭の中で物語をこねくり回している視聴者のなかから、また新しいクリエイターが生まれてくるのだろう。かつて王子千晴がそうだったように。

 この作品に出てくる人物はみんな、「ちゃんと」自分勝手だ。自分の行動を誰かのせいにしない。他者の言うことを聞かないときもあるけれど、そのときは自分の行動に自分で責任をもつ。その姿がとてもかっこいい。やりたいことだけやって上手くいかなければ誰かに責任を押し付けるような中途半端な自分勝手ではなく、ちゃんと自分勝手だ。登場人物たちが魅力的で活き活きしているのは、そういうところがあるからだろう。
 また、『スロウハイツの神様』に登場する小説家、チヨダ・コーキもこの作品にちょっと出てくる。相変わらずのコウちゃんの姿に「久しぶり」と言いたくなった。

 タイトルにある「ハケン」とは「覇権」、「覇権アニメ」とはそのシーズンの「一番」と呼ぶべきアニメのことで、作中ではふたつのアニメが覇権を争う。最終的にどちらに軍配があがるのかも是非見届けてほしい。

 夢を追う人たちの物語を読んでその眩しさが刺さり続ける自分のことは、嫌だし、嫌いだ。でも、刺さらなくなってしまった自分のことは、好きとか嫌いでもなくどうでもよくなってしまうかもしれない。私はまだ、私のことがどうでもよくない。だからこうして、食っていけないくせに文章を書きたくなってしまうんだろう。