ちょっと怖いものは美しい、危ういものは可愛らしい 『不時着する流星たち』

 話題になった時期に『博士の愛した数式』を読んで以来の小川洋子作品。当時の私は壮大なスケールと疾走するスピード感を読書に求めていたので、『博士の愛した数式』の良さも理解するには至らなかった。今回、小川洋子さんの短編集『不時着する流星たち』を「すごくいい!」と思ったことで、人間って成長するんだなぁと己の変化を感じている。ていうか『博士の愛した数式』を読んだのが中学生のときだから、そりゃあ成長してないと困るよね。

 

不時着する流星たち

不時着する流星たち

 

 

 『不時着する流星たち』は、実在の人物・事象をモチーフにした10の短編が収められている。どれもメジャーな題材とは言い難い(私が知っていたのはエリザベス・テイラーグレン・グールドくらい)。世界のどこかにぽつんと在るモチーフに、作者が手を差し伸べて新たな物語を生み出すような、そんなイメージが浮かんだ。モチーフを知らなければ読めないというわけではないが、読んだ後にモチーフとなった人物や事象を調べると、より物語の世界が体にしみてくる感じがする。

 どの短編も、明るく楽しい、というわけではない。楽しいとか悲しいとか、そういった言葉では言い表せないような気持ちになる物語ばかりだ。寂しさや物悲しさを含んだ短編たちは、その雰囲気を一言で表そうとするなら「ちょっと怖い」に尽きる。決して「優しい」や「あたたかい」では表せない、少し不穏なものが心に渦巻く。けれど、「怖い」と言い切るほどではない。ホラーのような怖さではなく、繊細すぎるがゆえの怖さとでも言うのだろうか。その「ちょっと怖い」は「美しい」でもある。ちょっと怖いからこそ、物語のもつ美しさがより輝く。
 『不時着する流星たち』というタイトルも、短編たちのもつ「ちょっと怖い」と「美しい」雰囲気が表されている。あるいは、不時着という危うい単語と、流星というきらめく可愛らしいイメージ。短編たちのもつ雰囲気が、このタイトルに集約されている。

 最初の短編「誘拐の女王」から心を掴まれた。少女と年の離れた血の繋がらない姉の物語で、少女の目には誘拐経験を語る姉は、そしてその誘拐譚はとても魅力的なものに見えるけれど……という、絶妙に不気味な雰囲気。大人の目から見たら様子がおかしく見える人も、子供の目から見たら妖しく魅力的に映ることもある。
 「カタツムリの結婚式」はこの短編集の中でも明るめの話。世界に散らばっている「同志」を探す少女の話で、自分が選ばれた存在であると信じているところも危うくて可愛らしい。そう、この短編集は「ちょっと怖くて美しい」だけでなく、「危うくて可愛らしい」のだ。
 どの物語に出てくる人たちも、みな繊細すぎるがゆえに世界からはみだしてしまったような人たちばかりだ。繊細すぎるから、鈍感に生きている人たちとは世界の見え方が違う。彼らの物語を見ていると、愛おしくてたまらなくなった。
 他の短編たちも、すっきりするような物語ではなく、心を爪の先でつつつとなぞるような、そんなぞわっとした感じのする物語ばかりだ。決して長い話ではないのに、ひとつひとつの短編に心を持っていかれてしまう。今の季節、心が揺らぎやすい春に読むと、余計に不安定に感じるのかもしれない。決して「楽しい」とは言い切れないけれど、この不安定さもまた読書の醍醐味ではないだろうか。

 また、挿画とフォントと書かれている物語の雰囲気が一体となっている感じがするところも、この作品の美しさの一部を担っている。それぞれの短編のはじめに置かれた挿画は、物語のイメージを細かな線で繊細に描いていて、その繊細さと物語の世界がマッチしている。フォントも、名前はわからないが一般的な小説に使われているものとは違って(「文」の字とかを見ると違いがわかりやすい)、上品で古めかしい雰囲気がこの物語を綴るにふさわしく感じられる。表紙の色合いも含め、挿画もフォントもすべてがこの一冊のもつ美しさを際立たせている。
 ちょっと怖いものは美しい、危ういものは可愛らしい。是非とも手に取って、この美しい本の世界を堪能してほしい。