足元を風船だらけにする 『3652』伊坂幸太郎

 あまりにも好きすぎてエッセイ集に手を出せなかった。この作家の、人間としての一面を垣間見てしまうことで、作品を読むときに変な先入観をもってしまったりはしないかと、自分に懐疑的だったからだ。ほかの作家のエッセイを読もうとは思っても、この人だけは読めないかもな、と思っていた。

 だって好きすぎて読み返せない作品があるくらいなのだから。

 私は『砂漠』という小説が好きで好きで好きで好きでもう本当にめちゃくちゃ好きなのだが、めちゃくちゃ好きすぎて今読み返しても私だって歳を取っていてもう大学生じゃないし前に読んだときの好きという気持ちが薄っぺらく思えてしまったらどうしようと思って、それが怖くて読み返せない。かつて面白いと思った作品が面白くなかったらそれは作品のせいではなく、読み手である私が変わってしまったせいだと思う。伊坂さんの本に限らず、ほとんどの本に対してそういう気持ちでいる。

 『砂漠』と同じくらいにヤベェ読書体験をしたなと思たのが『夜の国のクーパー』や『チルドレン』だったが、それらもまた同様に読み返せずにいる。『重力ピエロ』だけは自分が変わってしまう前に頻繁に読み返しては「私はまだ大丈夫だ(何が大丈夫なのかはわからないが)」と確認しているけれど、それ以外はなかなか触れられない。最近は伊坂さんの作品を読み返そう(あるいは読んでいなかったものを読もう)キャンペーンを展開しているが、まだ手を付けられていない作品も多い。

 前置きが長くなったが、そのくらいに、伊坂幸太郎という作家は私にとっては特別な作家なのだ。


 でもまぁ、いろいろあって(自分の中では結構大きなきっかけがあって)、エッセイを読んでみることにした。

 

 

3652: 伊坂幸太郎エッセイ集 (新潮文庫)

3652: 伊坂幸太郎エッセイ集 (新潮文庫)

 

 


 『3652』はいろんな媒体で書かれた10年分のエッセイをまとめた一冊である。作家デビューしてからの10年間に書かれた文章たち。どれも朴訥とした語り口だし、ほっこりする内容のものが多い。それに、伊坂さん自身による注釈がついており、エッセイとして書かれた文章はもとより注釈も面白い。注釈には伊坂さんの小説に出てきそうなツッコミが書かれている。伊坂さんが書いているのだから当たり前かもしれないが、私はそれに感嘆してしまった。おぉ、伊坂さんみたいな文章の注釈がついてると思ったら、伊坂幸太郎が書いてるぞ、みたいな。

 ページをめくるたび、私の「特別」に触れているのだとわかる。そんな読書は滅多にないな、と思いながら読んだ。

 


 やたらキャラの濃いお父さんの話は、なんとなく『ゴールデンスランバー』の主人公のお父さんの話を思い出した。奥様の話も結構出てくるが、奥様のことをとても好きなんだろうなぁと文章の端々から伝わってきて思わず微笑んでしまった。毎年苦心しつつも続けているという「干支エッセイ」はだんだんしんどくなってきていることが伝わってきて笑ってしまう(ねずみ年のネタ探しとして奥様にディズニーランドに誘われて行ってみたものの普通に楽しかったがネタは見つからなかった、というくだりが最高だった)。ずっと好きだった作家さんにお会いした話や、斉藤和義さんとのつながりの話も、胸にじんわりと響いた。洋画はあまり見ないのでエッセイの中で触れられている映画のほとんどは見たことがないが、映画が好きなことがすごく伝わってきてなんだか嬉しくなった。好きな本についても書いてあった。打海文三さんの本はたぶん読んだことがないはず。紹介されていた『ぼくの愛したゴウスト』が面白そうだったから読んでみたい。

 そんなとりとめのない感想が、胸のうちにふんわり浮かんではそっと着地する。空気を入れた風船をふわっと放ったらゆっくり落ちてくる、あの感じだ。読み終わるころには、足元が風船だらけになっていた。この感覚はほかの作家ではなかなか得られるものではない。伊坂さんだからこそ、私の「特別」だからこそだ。

 剛速球を食らった気分になる本もある。優しく頭を撫でてもらった気分になる本もある。崖から突き落とされた気分になる本もある。伊坂さんの本は、小説に限らずエッセイもまた、足元を風船で埋め尽くすような気分になる。先日読んだ『ガソリン生活』もそうだったし、次に読み返す本でもきっとそう思うのだろう。

 


 作家になったきっかけの話もいくつか書かれていたが、そういうものを読むたびに私ではなれないなぁと胃が重くなる。若干げろげろした気分になりながらも、伊坂さんが作家として世に出てくれてありがとうと(どこから目線だよって感じだけど)思う。

 じゃあ私は何になろう、と考えた。このエッセイを読んでいて、いまだ何者でもない私はいったい何者になれるだろうかと考えてしまった。別にそんなことは一言も書かれていないのだけれど、作家になってからの10年間のエッセイというものを読んだら、じゃあ私は何になれるだろうかと、ふと頭に浮かんできた。

 「よき読者」でありたい、とは思っている。作家になるのは難しいし、今の年齢で未経験で出版業界に入るのも現実的ではない。それなら、読むほうを極められたら、という気持ちだ。

 極めるといったってどうやればいいのかわからない。本の世界に没頭して楽しむこと、書かれていることを自分に引き寄せて考えること、登場人物たちの未来を願うこと、そして「こんな面白い本があるよ」と伝えること。そんなことをやっていけたら、それが私の思う「よき読者」なのではないかな。そんなふんわりした感想もまた、風船のように私の足元に着地する。